書を捨てられないし、街へも出られない

「書を捨てよ、街へ出よう」という寺山修司の名言がある。
このセリフはいい得て妙である。書が捨てられないから街へ出ることができない人は私を含め何人もいることと思う。
「書」とは、高尚な純文学に限らず、スマホYouTubeやネットゲームやSNSなど時代によって変わってくるだろう。それをして自分の気持ちが晴れ、幸せなら良いが、依存性のようになりやめなきゃいけないなあと思いながらもやめられない自分に自己嫌悪を抱く人は少なくないはずだ。

一人暮らしゴキブリ戦記

本当にあった怖い話~シンクの下に潜む悪魔~
学校が終わり、一人暮らしの部屋に帰ってきた私はいつもは作らないはずの弁当を何故か昨日だけ作ろうと思い立ちシンクの下の扉を開けて長いこと使ってない弁当箱を取り出そうとしたのだった。
年代別に地層状態になっている収納スペースを引っ掻き回し弁当箱を探していたところあらわれた…そう、黒光りする悪の権化が…。
今まで奴は単体でしか私のまえにみずから姿をあらわさなかった。昨日も例のごとく、収納スペースの奥にスーっと動く黒い物体が一つ見えたので、奴との戦いに少しは慣れてきた私はすぐそばにあったフ○キラーに手を伸ばし、奴めがけて噴射した。
しかし!フ○キラーの毒霧で充満したシンクの下の開きの中から、まるで家賃延滞で大家に追い出される大学生のようにわらわらと、そう、わらわらと奴が隊列をくんで出てきたのである。
私は戦慄した。この小さいながらも楽しい我が家は、このまま奴等らの手によって陥落してしまうのかと。そうはさせない。私はすかさずフ○キラーのその強力な毒霧を続けざまに開きの中にぶちこんだ。
…何秒間そうやっていただろうか。私にはその何秒間がビックバンから宇宙の晴れ上がりまでの長い時間に思えてきた頃、奴等の生きている気配はしなくなった。私も生きている心地はしなくなった。鼻が吸い込んだ毒霧にやられ、今にも鼻血が出てきそうになったのである。しかし、そこで戦いの勝負は決したも同然だ。私は奴等の死体の処理のことなど知らぬ風を装い、シンクの下の開きの扉をを閉めた。
しかし安心したのも束の間、奴等の生き残りが一匹、新鮮な空気を吸おうと何処からともなく現れ、その弱った四肢いや六肢を懸命に動かしながら私の目の前の壁を横切った。甲虫とは普通は猫背である。人間が思い浮かべる甲虫の類いは皆、こうべを地面にすりつけるようにして這い回るずんぐりむっくりした姿だろう。しかし、その生き残りは決してずんぐりむっくりなどではなかった。後ろの四本の足で懸命にまえに進み、前の2本の足を陽気に盆踊りでもしているかのように中に泳がせ、頭と胴体の節目は完璧にえび反り状態だった。いやはや、甲殻類のえびのことを海の昆虫とはよくいったものだと私は思いつつ生き残りを亡きものにした。
毒霧で充満する6畳一間の我が家、そして足下には一匹の奴。開かずの間となったシンクの下の開きの中のどうなっているかも想像できない惨劇。
私は財布と携帯と白米のご飯をもってすかさず外に出た。泣きながら近くに住む彼氏に電話をした。すると運がいいことに彼氏も家出をして外をほっつき歩いていたので暗い中坂の下の小学校の正門に集合した。
私は奴と出会う前、日常生活を送っていた頃におでんを夕飯に食べようとスーパーで出来合いのレトルトおでんを買ってきていた。しかしそれも食べずに出てきたのでお腹がすいてきた。あれほどの戦をかいくぐってこうも腹の虫がいななくのかと、腹が減っては戦ができぬという言葉はあながち間違ってはいないなと思った。彼氏も親と上手くいかなくて夕飯を食べ損ねたようなので弱冠18歳の若き我等はコンビニを求めて北上した。
道中、城跡を通りぬけ先ほど出会った生き残りのえび反り加減を自ら演じ説明しつつ、城の前のコンビニについた。私は懲りずに牛スジと卵とつくねのおでんを、彼氏はあんバターコッペパンを買った。因みにこの彼氏、このあんバターコッペパンを2日に一回は食べている。さしずめ、あんバターの貴公子である。
私たちは城跡のベンチに座り、遅めの夕飯を嗜んだ。おでんはとても暖かく骨の髄まで染み渡り、いつもはぴりりと引き締めてくれるからしもそのときはなんだか戦いに疲れた脳と体を、優しく諭してくれている気がした。彼氏もあんバターコッペパンを楽しんでいるようだった。私たちはそのとき会話が弾み、いつもよりも饒舌になった彼氏と人生やあんバターコッペパンについてあれこれ議論を交わした。とても充実した時間であった。
帰ろうとお堀の横を通りすぎたときにした小さな男の子の声とお堀の池の中で鳴った何かの呼吸音のようなものがひどく気がかりだが、私たちは互いの家に帰り、私は横になって今日の1日はとてもいい日だったと思った。
その時私の目の上を横切るナニかが…